前回も書きましたが、私は国税庁の茶番反面調査の録音の後のツィートで、とある工作員に工作員と認定されました。
そこで、どうしてそのようになったのかのいきさつを考えていく途中で、ラプトさんからの御言葉の中に神様を意識していきなさいとありました。
がんばって、自分なりに行っていくうちに、なんとなくほんの少しですが、意識できる時間が持てるようになりました。
私には子供がいますが、世間では子供がいると先々、安心で、楽しみが多いし、面倒をみてくれると言われることがよくあります。
確かに、家を出て、1人暮らしをしている子供がたまに、帰ってきて、あれこれ話しをするのは楽しいですし、一緒に食事に行ったり、買物に行くのも時々はいいものです。
しかし、それは今はそうですが、いずれは完全に独立し、それぞれの生活をしていくようになります。
まあ、今は5080問題という親子の共依存もありますが。
親が子供に側にいて欲しいと思っても、それは叶うかどうかはわかりません。
子供がいるから先々は安心、寂しくないと子供がいる人が陥りやすい錯覚に陥ってしまうとそれが叶わないと尚さら、悲しくなります。
今は話をしたりして楽しいこともあるけれども、いずれは離れていってしまう。
神様を意識していくうちに少しずつですが、神様が側にいてくれると思うと子供が離れてしまっても、不安に思ったりすることがないのではと考えるようになりました。
私が神様を意識し、愛していけば、神様が私を気にかけてくれます。
心強いですよね。
まだ御言葉を聞き初めの頃、神様を一番に愛しなさい。
子供は現世利益だから、一番に求めてはいけないと。
この言葉に少し疑問を持っていました。
子供を親は一番に愛するものだと思いこんでいたので、いまいち納得していませんでした。
しかし、今、その意味がやっとわかりました。
1人暮らしなどの孤独な老人が可哀想だと報道されてますが、それは世間から見て、そう思われるだけで、その人が神さまを愛していれば、なんら寂しくないのではないかと、今はそう思っています。
神様を愛することについて、どう愛するかは有料記事、朝会の御言葉で学んでいけます。
寂しさ、将来の不安から解放される人が1人でも増えていく世の中になることを祈って。
http://rapt-neo.com/?page_id=52029
VOL.424 自分が主のことを気にかけているときだけ、主も自分のことを気にかけて下さるのだと理解しなさい。