ジャポンというくにがありました。
まわりをうみにかこまれているくにでした。
はる、なつ、あき、ふゆというきせつがあります。
やま、かわもあり、しぜんにかこまれたうつくしいくにです。
ジャポンのひとびとは、やさしく、まじめなひとがたくさんいます。
ずっとむかし、ユドア人とよばれるひとたちがうみからわたって、ジャポンにやってきました。
なぜ、やってきたかというと、ユドア人がすんでいたところでたたかいがありました。
そのたたかいにまけたからです。
そこで、すむことができなくなり、いろいろなところにちらばっていきました。
そして、ユドア人のいちぶもジャポンにたどりついたのです。
このユドア人は、サタンというあくまをおがんでいました。
あくまなので、じふんたちのことだけがだいじで、ほかのひとはどうでもいいというかんがえをもっていました。
じぶんたちユドア人のぜいたくなくらしのためには、ジャポンのひとたちをたくさんはたらかせようともおもいました。
そして、ユドア人たちは、ジャポンはすみやすいから、ジャポンをじぶんたちのものにしてしまおうとたくらんでいました。
せんそうというたたかいではジャポンをとりあげるさくせんはしませんでした。
ちからずくでしはいしようとしても、ながくはつづかないからです。
ユドア人だけが、しあわせに、ぜいたくにくらしていけるさくせんをかんがえました。
たとえば、くにのルールとなるほうりつも、ユドア人につごうのいいようにつくりました。
ユドア人がわるいことをしても、けいさつにたいほもされません。
ながいねんげつをかけて、ユドア人がかんぜんにしはいできるけいかくをたてました。
ユドア人のほうがかずがすくない。
ジャポンのひとたちはおおい。
すくないにんずうでしはいするのがユドア人、そのたのジャポンのひとたちがしはいされる。
ジャポンのひとをやすいおかねで、はたらかせて、ユドア人がぜいたくをしようと。
まず、ユドア人だということをかくしました。
みためは、ジャポンのひとたちにユドア人はにていました。
ユドア人がしはいしていることがばれるとジャポンのひとたちは、ユドア人をほろぼすだろうとかんがえました。
ジャポンにすみにくくなり、でていかないといけなくなるともかんがえました。
いろいろなところですごいとよばれるひとをユドア人だけがなるようにしました。
そのユドア人のいうことをきいて、やってみれば、ジャポンのひとたちもそうなれるとテレビやしんぶんでつたえました。
テレビなどにでているひともユドア人がほとんどです。
テレビにでて、かつやくしているユドア人をみて、じぶんもなりたいとおもうわかいジャポンのひとがいました。
でも、ユドア人しか、すごいひとになることはできないようになっているので、テレビでは、かつやくできません。
どんなにがんばってもうまくいかないので、ジャポンのひとたちは、じぶんにはできないとおもいこまされました。
おおきなかいしゃもユドア人がしはいするようにしました。
ジャポンのひとたちは、なにもじぶんにはできないから、かいしゃではたらくことしかできないとおもいました。
かいしゃのしゃちょうのいうことをきいていれば、それでいいとおもいこまされました。
そして、はたらいて、おかねをもらい、すこしだけでもたのしみがあれば、いまのままでいい。
どんなにがんばっても、じぶんにはなにもできないから。
がんばってもむだだから。
そのようなこころをジャポンのひとたちにもたせました。
ジャポンのひとびとは、すごいちからがあったり、あたまがいいひとがせいじをおこなったり、しゃちょうになるとおもっていました。
だから、そのひとたちがユドア人だとは、わかりませんでした。
ジャポンは、かんぜんにユドア人にしはいされるようになりました。
ユドア人のながいねんげつをかけたけいかくがもうすぐ、かんせいするとユドア人はおもいました。
いま、ジャポンのひとびとがくるしんでいます。
ジャポンのなかに、なぜ、こんなにくるしいのかとおもうひとがすこしですが、でてきました。
そして、このくるしみからでたい、なんとかしたいとおもうひともでてきました。
つづく
去年にも増して、今年は暗い感じが世の中には漂っています。
明らかに、悪くなっていると思うことが日常生活の中で目立つようになりました。
どうしてなのかが知りたくて、ラプトブログに出会いました。
そして、なんとかしたいと思いました。