11月11日は主の祝祭日でした。
神さまに出会ったことを感謝して、神さまを褒め称える日です。
ラプトさんの10日の御言葉を聞いているときから、なんとなくふわっとしたなにかに包まれる感じがありました。
これで、明日の祝祭日を迎えるとどんなにすごいのかなぁと嬉しくなりました。
翌日の朝、行く場所を普段は行かない所ということで海に行こうと決めました。
夕方には仕事があり遠出はできないので、片道、車で30分の海岸を選びました。
私の主人は宗教嫌いなので信仰のことは一切、話をしていません。
主人には海に行くことを言わずに、買い物に行ってくると嘘をつきました。
ほんとのことを話すと後が面倒だと思い、軽い気持ちでの嘘でした。
車で海に向かっていると、それまでのふわっととした感じが突然なくなり、とても重苦しくなりました。
どうしたんだろうと焦りました。
御言葉の中で祝祭日に裁かれたら、何が原因かチェックし悔い改めなさいとありました。
あっ、主人に出かける時についた嘘だと。
なにげについた嘘ひとつでこんなに苦しくなるのだと思いしらされました。
長年生きてきて、私は事を穏便にするためにつく嘘を正当化させる癖がついていました。
ひとつの嘘でこんなに苦しくなるのなら、今まで犯したたくさんの罪を神さまはご覧になられて、どんなに悲しまれたのか。
自分の愚かさに情けなくなりました。
罪という鎧を心にまとわりつけて生きてきたので、罪を犯しても感じる苦しみに対して鈍感になっていたのでしょう。
祝祭日は心が開放されると御言葉にありました。
恵みも裁きの苦しみも心にダイレクトに感じました。
罪を悔い改め、心にまとわりつけた罪の鎧をすべてなくしたいと思いました。
ラプトさんは御言葉で中で仰っておられました。
神さまから練達を受けて罪を悔い改めてきたと。だから、人前や初対面の人と話す時も普段どおりだと。
人前で緊張しまくる私は驚きました。
緊張するのは等身大の自分よりも大きくみせようとするからですよね。
ラプトさんのようになりたいと思いました。
罪がなくなっていけば、そのようになれるのでしょう。
なくせるよう、罪に気がつけるように神さまにお願いしました。
そして、もうひとつは、信仰のことを主人に話すとややこしくなると思い、していないことです。
神さまを証しないことは、あかりを升の下に置くことです。
あかりは燭台の上に置くものです。
ふと、聖句が浮かんできました。
主人に話すと文句を言われたり、邪魔されるのではと不安になり先延ばしにしていました。
信仰の話を主人にしてみます。もっと早くにするべきでした。
タイミングは、、祈ってみます。
平日のせいか、海岸には誰もおらず、急に裁かれてトボトボと歩きながら悔い改めをしました。
帰る途中に、またふわっとした穏やかな感じになり、神さまに感謝しました。
もっと罪の悔い改めをしようと車の運転をしながら思いました。
恵みと裁きの両方を体験した1日でしたが、悔い改める罪を教えていただいて、素晴らしい日を過ごすことができました。
ありがとうございます。
神さまの御心が盛大になせるように祈って。